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むろむろ旅行記 <<沖縄旅行 最後のピース>>
2007年12月31日(月) 三日目 南部戦跡めぐりと玉泉洞

今日で沖縄三日目。
今日は観光バスツアー、「南部戦跡めぐりと玉泉洞」に参加だ。
沖縄の南部のほうの観光である。
バスツアーなるものに参加するのは今日が始めて。
ちょっとドキドキ。

1.旧海軍司令部掘壕
2.ひめゆりの塔
3.沖縄平和祈念堂・平和の礎
4.おきなわワールド(玉泉洞)
と回る。
ちゃんと前もってネットより予約をとってあるのだ。

朝飯は海ブドウ

まず、朝8時に起きて、朝飯として昨日買った海ブドウを食べた。
ハシがなかったので手掴みで食べた。
インド人のように。
なるほど、これはうまかった。
プチプチして新鮮で野菜とも果物とも海草とも違う
不思議な感じ。
ああでも果物っぽい触感かな。
味はドレッシングだけど。
いや、海草ではあるけれど、味は野菜(サラダ)、食感は果物と言ったところか。

バスツアー

8:40にホテルを出る。
おお今日も寒いじゃないか。
ゆいレールで行く。
9:00に着いて観光バス事務所で申し込み。

9:25になりバスに搭乗。
バスガイドのおねいさんは若槻千夏をおとなしくした感じの人で結構かわいい。
座席は自由。
となりが変なおっさんになっちゃったらいやだなあ。
若くてかわいい一人参加の女の子だったらいいのになあとか思ったりする。
参加者はそれほど多くもなく、かと言ってそれほど少なくもない。
私は一人でゆうゆうと坐ることが出来た。
参加者は27名だそうだ。

というわけで、わくわくバスツアーが始まった。

1.旧海軍司令部掘壕

バスで走ること20分で到着。
バスを降り、まずなぜか同乗した27名で記念の集合写真を撮る。
なんで集合写真やねん。
集合写真の意味がわからん、知らん人ばっかりなのに。

旧海軍司令部掘壕とは人工の洞穴を司令部としたものである。
地下最大で25メートル、全長400メートルあるとか。
ところどころに部屋(といっても6畳くらいの広さ)があり、それぞれ幕僚室、司令官室、作戦室、医療室、暗号室などだったそうである。
今となってはただの空間なのだが。
それぞれの室で若槻千夏似のガイドさんが説明してくれる。しかも誦んじている。おおーすごい。
沖縄というのは、米軍が上陸した日本唯一の地である。
それ故に、本土にはない、悲惨なドラマがおこったようだ。

旧海軍司令部掘壕の観光を終え、バス内に戻る。
すると写真撮影したおっちゃんバス内でB5くらいのサンプル見せて売り込み。
「ツアーの最後には現像してお渡しできます」って。
一部千円だそうだ。
たっけー、ふざけんな。
もちろんオイラは申し込まず。
数人くらいしか申し込まなかった。当たり前だ。

ひめゆり 2.ひめゆりの塔

バスで10分ほど移動。
続いて到着したのがひめゆりの塔。
ひめゆりとは2つの女学校ことで戦時中に米軍が上陸し生徒たちは米軍の包囲する戦場に放り出される。
そこで悲劇が生まれる。

ここでも若槻ガイドが詳しくソラで説明してくれる。
より詳しくは「ひめゆり平和祈念資料館」がよい。
なんでも本土決戦の地なので、女学生にいきなり負傷兵の看護、水汲み、飯上げ、死体埋葬やらをさせられたそうだ。
いきなり「解散宣言」という(麒麟の田村みたい)、軍が無責任にあと管理しないという見放した形になり、絶望した学徒は各々自決したり戦地を逃げまどったりという悲劇が生まれたのだそうだ。

生き残った方もいて、今でも存命で講演で戦争の悲惨さと平和を訴えているそうだ。
VTRで生き残りのおばあさんの証言を見た。
「解散宣言」を受けて、親友のゆうこさんと「死ぬときは一緒だよ」と戦地を手を繋いで逃げ回った。
でも爆撃を受けて親友だけが亡くなってしまったそうだ。
そのおばあさんは76歳になってた今でも16歳のゆうこさんの写真を常に身に付けていて、ゆうこさんの代わりにも生き続けると話していた。
ちょっとそのVTR見てオイラは不覚にも泣いてもた。
16歳の親友同士の少女二人が「死ぬときは一緒だよ」と言って手を繋いで戦場を逃げ回ったシーンが見えてきて切なくて涙が出てきた。
年取ると涙もろくなるわ。

惜しいかな、時間がなくてじっくり資料館を回れなかった。
あと1時間は必要だよ。

昼食

その近くの食堂で昼飯となる。
これはこのツアーに組み込まれており、種類を選ぶことは出来ない。
エビフライ、刺し身の御繕ご飯。
エビフライはうまかった。
デザートのパイナップルもうまかった。
でもなあ、沖縄っぽい食事ではないなあ。
まあ味は悪くはなかったのだが。

その店でドラゴンフルーツのカットがあった。
お、ドラゴンフルーツ食べたことなかったから食べたかったんだー。
5カットで500円だった。
それ1つでいいんだよな。
「一切れだけ下さい」って言ったら、
「それはちょっと・・・どうですか、これ(5カットのやつ)こちらで召し上がっては」
「いや、そんなには食べられないんで。
ほんとに1口だけほしいんだけどなあ、だめっすか?じゃあいいです」
諦めた。また機会はあるだろう。

平和の礎 3.沖縄平和祈念堂

バスで5分ほど移動。
続いて到着したのが沖縄平和祈念堂。
ここには平和願望と戦没者追悼の象徴として高さ12メートルの金色の大仏がある。

また堂の外には沖縄戦で亡くなった全ての人(アメリカ兵も)の名前を刻んだ平和の礎がある。
20万人以上の名前が刻まれているそうだ。
ここに資料館があるのだが、今日は年末なので閉館している。
残念。

このとき既に私は疲れていた。
昨日の首里城、国際通り闊歩の疲れが取れていない。
それに今日も結構歩いている。
足が痛いんだよね。足の裏が。
年のせいか回復が遅くて・・・。

おきなわワールド 4.おきなわワールド(玉泉洞)

バスで数分移動。
続いて到着したのがおきなわワールド(玉泉洞)。
玉泉洞は天然記念物の鐘乳洞。
おきなわワールドっていうのは総合文化会館という沖縄ならではのたくさんの博物館&お店群だ。

玉泉洞 玉泉洞

おきなわワールド内の玉泉洞。
まず入り口で混雑調整のため、連れ単位に沖縄民族衣装のおねいさん二人に囲まれて写真を取られる。
洞窟の出口で希望する客なら買うというシステム。
連れ単位なので、私は一人。
うまいこと考えるね。
これなら買ってもいいかな?
500円くらいだろ。

鐘乳洞。
旧海軍司令部掘壕は人工だが、こちらは天然。
結構長い洞窟、奥行き80メートル。

写真 写真

十数分間、鐘乳洞を歩きようやく出口へ。
出口では入り口でとった写真がもう現像されている。
10センチ20センチくらいの大きさ。
ナントこれも千円。
はぁ〜!? たっけー。
ふざけんなよ。
でもなあ、おねいさんに囲まれてる写真だしなー。
オイラ、デジカメで写真何枚もとってるけど、自分は全然写ってないしなー。
沖縄に来た証明にもなるな。
せっかくだから買うことにした。
うまい商売だね。

フルーツ フルーツ

鐘乳洞の出口から入り口のほうへ戻る道中に
フルーツ園、フルーツ茶屋、ガラス工房、陶芸工房、黒糖工場、ガラス売り場、お土産屋、ハブ博物館とたくさんのお店、博物館がある。
与えた時間が1時間半なので全然時間なかった。
鐘乳洞はいらんな。
じっくり見たかったわ。

その中で唯一長くいたのが「フルーツ茶屋」
食べたことがない果物があるぅ〜。

フルーツミックス600円とさとうきび300円を購入。

これわかるかね?
左がさとうきびで右がミックス。
ミックスの中の

上:スターフルーツ、ドラゴンフルーツ、マンゴー
右:サクランボ、キウイ、パイナップル
左:キワノ、たんかん、すいか

茶色の字が食べたことがないもの。ちなみにさとうきびも初。
まさに、フルーツの宝石箱や〜!

名前がわからんかったので店員のおばちゃんに聞いた。
むろ 「これなんすか?」
おば 「キワノ」
むろ 「これは?」
おば 「たんかん」
むろ 「これドラゴンでこれスターですよね
(このふたつはわかる。ドラゴンフルーツは食べたかったしね)」
おば 「そうそう」
むろ 「えーっと、これなんでしたっけ?」
おば 「キワノ」
むろ 「えーっとこれは?」
おば 「だからたんかん、あそこにおいてあるわよ」
むろ 「はは、どうも」
二つ以上の新しい単語が覚えられない。
年は取りたくないものだ。とほほ。

さあ、さっそく食べてみます。
ふっふっふ、人生の初めて食べる物がこんなにたくさん。
ではそれぞれ感想を以下に。

さとうきび: 固い、笹だ。噛みちぎれない。これは飲み込むものではないようだ。噛んで吐き出す。
確かに甘いが、ほんのり程度の甘さ、歯ごたえは固すぎて食べ物にあらず。
スターフルーツ: やや柑橘、うす味。いまいち。
ドラゴンフルーツ: これもうす味、ぬめぬめしたスイカ+キウイという感じ。いまいち。
マンゴー: これはうまいけどまあ普通。
サクランボ: あまりうまくないサクランボ。
キウイ: 普通だね。
パイナップル: いい感じのすっぱさでうまい。
キワノ: ウリ科。味はミカンをあっさりにした感じなのだが、食感はぬめぬめ。メロンのタネのところをさらにゼラチンっぽくしたような感じ。
たんかん: これ食ったことあるわ。普通のオレンジだわ。
すいか: うまくないわ。この季節だし。

いやあ、フルーツミックスのほうは味の感想をメモしながら一気に食べた。
初めて食べるという行為は大変愉快である。
さとうきびは全部は食べられない。
10本中5本食し、残りは持って帰ろう。
これは夜食にするか。

帰路、そして総括

これにて4つの観光は終わり。
結構時間に追われた。
ひめゆりとおきなわワールドはもっと時間欲しかったな。
ひめゆりはもっとじっくり資料が見たかった。
おきなわワールドはフルーツ園ぐらいしかいけなかったぞ。
それぞれあと一時間ずつ、いや二時間ずつ欲しいわ。

観光地と観光地の間隔がバスで数分から十数分と近い。
沖縄南部という比較的狭い範囲での移動だからだろう。
帰路で最大の40分だった。

若槻千夏似のバスガイド

若槻千夏似のバスガイドのおねいさんがすばらしい。
旧海軍司令部掘壕やひめゆりの塔などの観光地での説明をしてくれた。
バスでの移動中のでも、その観光地の補足説明をしてくれる。
例えば旧海軍司令部掘壕の後には、田中少尉の時世の句だけでなく、次官宛の電報の内容を言って、説明もしてくれたりしてくれる。
それを全部暗唱している。ソラで説明してくれる。

観光地のことだけではない。
走行中の市のこと。
糸満市だったら糸満市のこと。
糸満市のカミさんは得てしてしっかりものだとか、なぜなら旦那が漁師で家をあけてばかり。家のこと(子供や親せき、近所付き合い、家計のやりくり、etc.etc.)は一切カミさんが取り仕切っているからとか。
南風原市を通れば南風原市は唯一海に接していない市だとか。
沖縄は細長い県なのでほとんどの市が海を接しているが、南風原市だけ唯一海に接していないため、内陸的な風土であるとか。
それを全部暗唱している。ソラで説明してくれる。

沖縄の住宅は木造に適していない。鉄筋造が最適だとか。
なぜなら沖縄は台風が多い。台風銀座と言われるくらい。
なので台風被害の出る木造住宅はよくないのだそうだ。
しかし、台風も悪いことばかりではない。
沖縄は内地と異なり亜熱帯気候である。
なので、伝染病や害虫による被害が生じる。
しかしながら、その伝染病や害虫そのものを台風が吹き飛ばしてくれるのだそうだ。
自然の調和というものは良く出来ているんだって。
それを全部暗唱している。ソラで説明してくれる。

そういった沖縄風土の話から、シーサーの歴史の話。
シーサーって2体で1組だが、片方は口あけて、片方は口閉じてる。
お土産のシーサーも全てそうなっている。
狛犬の阿吽の呼吸と同じなんだって。

また、沖縄の珍しい地名を画用紙で説明してくれる。
今帰仁(なきじん)、北谷(ちゃたん)、中城(ぐすく)、東風平(こちんな)、具志頭(ぐしかみ)、平安名(へんな)、喜屋武(きゃん)、南風平(はえばる)・・・。
平安名(へんな)、喜屋武(きゃん)は人名にも多いって。
中城(ぐすく)の「ぐ」は石の意味。石を集める、石畳からきているとか。
ただ珍しい地名を教えてくれるだけでなく、由来や市の特徴などのエピソードを添えてくれる。
それを全部暗唱している。ソラで説明してくれる。

沖縄の方言では、
北(ニシ)、南(フェー)、東(アガリ)、西(イリ)というのだそうだ。
北なのにニシって。 東(アガリ)と西(イリ)は、日の出から、つまり日が上り(アガリ)、日が沈む(イリ)からきているとか。
それを全部暗唱している。ソラで説明してくれる。

若槻「では問題です。今このバスはどちらに向かっているでしょう」
客 「北(ニシ)、北(ニシ)」
南部を観光して帰路だから那覇に向かっている。
だから、北(ニシ)が正解だね。
若槻「では解答です。今このバスは『前へ前へ』と進んでおります」
客 「ははは」
おっと、なんですかこれは?
バスガイドギャグですか?
そんなんもあるんだ。

若槻「みなさん、今日は観光でたくさん歩いて疲れたでしょう」
若槻「足の裏健康法をお教えしましょう」
若槻「宿に着きましたら足の裏を見てください」
若槻「足の裏が赤い場合、それは健康です」
若槻「足の裏が白い場合、それはちょっと不健康です」
若槻「足の裏が黒い場合、それは足が汚れています。洗って下さい
おーっとー、また出たかー。
今度はどうなんだー?
ちょっとファンになってしまいそうです。

そして最後の最後に沖縄の歌を一曲しっとりと歌ってくれました。

若槻バスガイド。
(バス内ではない)観光地での説明はもちろん、バス内の移動中でも一時も途切れることなく、つっかえることもなく、噛むこともなく、それでいてうるさくなく、うっとおしくない。
それを全部暗唱してソラで説明してくれた。
時間にしたら正味二時間はあっただろう。
一人芝居の舞台女優か?
彼女はどう見ても20代半ば、だからまだバスガイド歴は数年程度だよな。
若槻バスガイドのプロフェッショナルな仕事にただただ感服であります。
脱帽であります。
そして感動であります。
ありがとう。

いや、よかった。
大変よかった。
沖縄の戦跡に触れ、フルーツたくさん食べ、ひめゆりのおばあさんと若槻バスガイドの二人の女性に感銘を受けた。
なんと充実した時だったであろうか。
今日という日を自分の中で大切な日にして、今後の自分の糧にしたいと思うむろであった。


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