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4月5日(金)新潟 | ||||||||||||||||||||||||||||
*** 新潟県 *** | ||||||||||||||||||||||||||||
5時頃起きてしまう。 枕が変わると眠りが浅くてかなわん。 食事は9時だ。あと4時間もあるよ。 司馬遼太郎の「太閤記」を読む。 本を持ってきてよかった。 フロに入りながら太閤記読む。 眠くなったので1Hだけ寝た。 9時になりちょうどよくなった。 食事は広い食堂にオイラ一人だ。 和食で量多い。 ホテルの女将さんに聞くと、 親不知コミュニティロードはこのホテルのすぐ裏にあった。 親不知とは平頼盛の後を追って、この地を通りかかった夫人が、懐の愛児を波にさらわれ、 悲嘆のあまりこの歌を詠んだ。 「親しらず子はこの浦の波まくら 越路の磯のあわと消えゆく」 この歌が親不知(おやしらず)の由来となる。 断崖と日本海の荒波を縫って命がけで通行する天下の難所といわれているのだそうだ。 岸は絶壁だが、今では舗装されたアルファルトの歩道をてくてく歩ける。 日本の道百選のひとつであるそうだ。 というわけで親不知をあとにする。 | ||||||||||||||||||||||||||||
北陸自動車道から関越自動車道へ。 4月であるが新潟は山々がまだ雪が残っている。 新潟県の小出で降りる。 西福寺に行く。 雪が残ってる。 オイラと中年夫婦の3人しか客がいないのに、職員のおっさんが丁寧に説明してくれた。 見事な彫刻である。 越後日光と呼ばれているそうで、東照宮よりかなり小規模だが、彫刻は見事。 写真は禁止だった。残念だ。 絵はがきセットが売っていたのでそれを買う。 この写真は絵はがきを取り込んだものである。 なんと1つの大木からくりぬいて出来ているのである。 1つ1つの彫刻を配置しているのではないのだ!! | ||||||||||||||||||||||||||||
新潟を制覇した。 というわけで、3泊4日のむろむろ中部・北陸旅行は終了した。 さて、後は帰るだけだ。 ちょっと淋しい気もする。 高速もすっかりなれた。 全然問題なし。 今回の中部・北陸旅行で運転力がアップした。 | ||||||||||||||||||||||||||||
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埼玉の川越で降りて、下は混んでいて、道を間違えたりもしたが、5時に帰宅。 ふえー、やっと終わったー。 うーむ、疲れた。 | ||||||||||||||||||||||||||||
*** 総括 *** | ||||||||||||||||||||||||||||
目的は以下の通りだった。 1.むろむろ旅行記の写真のネタを撮りに行く。 2.むろむろさんの車の運転技術をそれを鍛える。 3.斎藤道三、信長、秀吉、家康の名所をまわる。 で、結果は・・・ 1.写真たくさん撮った。 2.運転かなりーうまくなった。 3.名所回った。 おぉ〜、すべてクリアしたジャーン。 思わぬ長旅になってしまった。 とても疲れた。 でも、面白かった。また旅行に行こう!! おわり。 |